<第六夜>君の助けになる

 「イチロー」と「コーイチロー」…ちょっと似てるやろ?

  

 ま、この人の凄いとこは、どこまでも「自分の野球」を追求したことやな。球界のためでもファンのためでも子供らのためでもなく、あくまで「自分の野球」を実現するために理想を追い続け、ほんで実現したんや。正直、それが自分本位に見えて、マリナーズにおった頃は『あいつはヒット 大好きで、自分のことしか考えていない』『ぶん殴ってやりたい』という声すら上がってたそうやで。

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 いっぽうで、この頃はスポーツ選手に限らず「みんなに夢を与えたい」とか「勇気を届けたい」とか、ほんまおこがましいわな。市井のご連中も、二言目には「感動した!!」で、あきれるほど感情の沸点が低いわな。

 

 思うにイチローは、そおゆう世俗からは一段も二段も離れた高見で、プレーしてたんちゃうやろか? 称賛も罵倒も、さして意味なくさして関係なく、後にも先にも、自分しかおらへん孤独の一本道…。それがゴードンの「あなたは、自分自身に、仕事に、プロセスに、そして何よりも、あなたが持つ『文化』に忠実でした」とゆう一文に現れてると思う。

 

 そもそも「誰々のために…」なんてゆう生き方自体が、ナンセンスやと思わん? 家族のためとか会社のためとか地域のためとか虐げられてる人のためとか、ほんまうんざり…。周囲への影響や効果は自分の言動から派生するあくまで副次的な産物やのに、最初からそれが目標の人生やなんて、なんや嘘っぽない?

 

 要は自分の道をひたむきに歩んで行くことが、結果的に周囲に光明を与えるん ちゃうかしらん? 太陽は地球を照らすために輝いてるんやのおて、太陽が輝いているから地球が照らされてるんや。

 

 ディー・ゴードンゆう選手は、イチローと自分の関係性において、それが本能的に解かってたんやと思う。せやから、自分を照らしてくれてたイチローがおらんようになって、堪え切れへん感謝と淋しさが、心の底からあふれ出てるんちゃう? それは恐らく、野球選手としてだけやなく、ひとりの人間としての感情やと思う。それが新聞への全面広告とゆうオープンレターになったんや。最後に「Devaris」ゆう本名が記されてるんが、それを表してると思わん?

  

 メッセージの日本語訳でびつくりしたんは、イチローがゴードンに「可能な限り君の助けになるよ」て、ゆうてること(You told me you would help me in any way possible. )。「俺についてこい」でも「一緒に頑張ろう」でも「君を尊敬しているでも」なく、「君の助けになる」やで。あくまでも主体は相手で、それをイチロー自身が助けるんや。輝かしいキャリアを称賛される選手とは思われへんほど、謙虚な言葉や。

 

 これって、舞台や映画やでゆうたら「助演」ちゃう? 相手との関係において、主体は自分やなく、あくまで相手なんや。それも、数々の栄光に輝いた超一流選手が、そおゆう態度やねん。ゴードンにとってそれは、文字通りものすごい衝撃(I swear, it hit me hard.)やったんや。チームメイトへのこうゆう接し方も、ゴードンのゆうイチローの「文化」なんやろな。

 

 野球選手を離れたイチローは、はたしてこれからどんな「文化」を築いていくんやろ…?
 

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