<第7夜>『JOKER』鑑賞記

 
 こないだお墓参りの後に、あずさセンセの歯医者に行きましてな。ほんでこれから『JOKER』観ますねんゆうたら、「私も観た」てゆわはって…。
 
「なんやアベックで観たら、帰りはゲンナリするそうですな」
「そうそう、間違ってもポップコーン食べながら観るような映画じゃない。差別っていうか、あんなふうになるのも仕方ないなっていうような、可哀そうで重い作品よ」
「アメコミとかと、ちゃうんでっしゃろ?」
「あたしもそおゆうの興味ないんだけど、バットマンとか知らなくても全然問題ない。むしろ、関係ないって感じよ」

 とゆうわけで、ネタバレは聞かんと、池袋のIMAXに行きましてん…けど、なんですのん、あの劇場?!

 ゲームセンターにカフェにレストランに吹き抜けの円形ロビーにと、なんかこう資本主義経済の恩恵と欲望を見せつけるような、アミューズメントの権化みたいなとこ。12階のIMAXシアターにたどり着くまで、もうほんま時代遅れの田舎モン丸出しで、ウロウロしてもたわ。

 マジで『JOKER』に相応しないわ…って、思たけど、逆説的に捕えたら、これほど相応しい劇場はないんかも…?

 なんせ12階には、コスパ最悪のジャンクフードをオーダーせな座られへんスペシャルラウンジがおましてな。けど、所詮は娯楽施設で、ホテルみたいなセレブ感はおまへん(行ったことないけど…)。

 客層も気取ってはおるけど、こおゆう雰囲気には慣れてへんのが見え見えで、背伸びしてる感じのアベックばっかり…。当然お呼びでない雰囲気やし、しゃーないから無料のオープンスペースに座ってたら、野暮ったい白人男性の2人連れが続いてきて、明らかに場違いな存在感を共有してもたわ。

 で、いよいよ入場になったら、なんと目の前に飼い葉桶みたいなポップコーンをトレイに載せて、しゃなりしゃなりと歩む婦女子が現れてな!! 瞬時にあずさセンセの言葉思い出して、「あんたそれ、一人で食べるん?」て凝視してもた。しかも、なんと革張り(合皮)のプレミアムシートにお座りになって…どおりで優雅な立ち居振る舞いやってんわ~。服は陳腐でオバハンぽいけど。

 そうそう、最前列には介護ベッドみたいな超リクライニングな姿勢で観れる(見上げる?)フラットシートもおましてな。そこにも今風婦女子がお寝そべりになったけど、あんなリラックスした姿勢で鑑賞できるような映画やないのに、大丈夫やろか…?

 場内の入りは、3割ぐらい? ま、IMAXて他の劇場よりほんの数百円割高なんやけど、それだけでこんだけの差が出るんやな。かくゆうこっちは、スペシャルラウンジのジャンクフード食べたり、飼い葉桶みたいなポップコーン買うたり、プレミアムシート選んだりする余計な出費はせえへんけど、音響にはこだわるような種族ですねん。

 それからもぼちぼちと、アベックやメンズが何組か、ドリンクとポップコーン携えて談笑しながら入ってきたけど、あんたらマジで覚悟できてる? どんな映画か解かってる? 選ぶ作品、間違ごおてへん…?  ひとつ隣の席にも、ポップコーン男が来て座るなりポリポリ食べ始めたけど、「あんた、上映中もそれ続ける自信あるん?」

 案の定、開始2分で男の動きは止まりましてん。

 で、作品の感想やけど、ぶっちゃけ思てたとおりで、すこぶる爽快やった!! 問題作とゆうより、あれは秀作であり意欲作やな。

 エンドロールが終わっても、誰ひとり拍手なんかせえへんし、声も出さへん。明るなってから会場見まわしたけど、メンズでさえポップコーン半分以上残して戸惑うてるし、プレミアム婦女子はどんより顔で立ちあがるし、アベックは会話もなしにそそくさと出口へ急ぐし…。

 いやー、もうそおゆう光景目の当たりにして、ほんまスーッとしたわっ!!…て、悪趣味?

 出口では係員が飼い葉桶回収してたけど、なんせポップコーンは残されまくりで、受け取るなりひっくり返して、ザーザーゴミ箱に捨てるの繰り返し…めっちゃ、フードロスやな。
 

f:id:koichiro16560:20191111005831j:plain  活字ばっかりのパンフレット。もうこれは必読の解説書やな(著作権の関係で誌面の写真はNG)


 さて、肝心の内容ですけど、あれほど巧みに自分の暗黒面にアプローチして来るとは、予想だにしてへんだ…。

 思い起こせばアーサーほどではないにしても、面と向かって不躾な事ゆわれたり、陰でこそこそ噂されたり、いじわるな訳知り顔で尋ねてきたりする輩はぎょうさんおった(今もおるし、これからもおる)。さすがに暴力を振るわれたことはいっぺんしかなかったけど、そおゆう過去の忌まわしい記憶を引き出して、共感を誘う作品やった。ま、誰しも多かれ少なかれ、そおゆう心境になるとは思うけど…。

 もちろん、全然ピンとけえへんとか、おぞましいとか、げんなりとか、観たくないとか、金返せとか、低評価の人もおるやろ。けど、むしろそおゆうご連中の方が、おっちゃんは怖い。そおゆう輩こそが、アーサーみたいに無力で気弱で優しい人間を、傷つけ追い詰めてきたんとちゃうか? しかも、うすら笑いしながら、無意識のうちに…。

 した方、ゆうた方は忘れても、された方、ゆわれた方は、一生忘れへんとゆうことを、改めて痛感させられた。そおゆう意味では、辛いし耐えがたい一面もある。

 とにかく、映画を娯楽として捕えてる人には、おススメしまへん。ディズニーランドや24時間テレビ(27時間?)が大好きな人とか、SNSにはご自慢しかUPせえへん、Happyなことにしか「いいね」でけへん人とかも…。悪いこと言わへんから、やめときなはれ。自分の暗黒面えぐられて、嫌な気分になること請け合いや。

 ま、あえて上から目線でゆわしてもろたら、感性の鈍い人や思慮の浅い人には、理解も実感もでけへんとゆうこと。それはそれで、幸せなやと思う。けど、こんだけヒットして賛否両論なんは、そんだけ人の心に刺さってるんやで。  

 今の日本ではあそこまでせえへんけど、もしゴッサムシティにおったら、自分も暴動に加担してるとは思う。ってゆうか、「革命に参加」やな。

 ちょびっとだけ具体的に書いたら、作品全体の構成としては二つ世界が同時進行でシームレスに描かれてて、そこが観る人を混乱させる。IT系のサラリーマンがホームの階段で銃殺されるのに周りに誰もおらんとか、暴動の激化があまりに急過ぎるとか、金持ちのマダム(バットマンのおかんらしい)の扮装が、毛皮に真珠とゆう、実に解かりやすい描かれ方やったとか…。そおゆう理由が、後で解かる。

 それにしても、あのラストシーンは実に意味深やな。あれで、かろうじて善の領域に、作品を位置付けてるつもりなんやな。監督が「政治的な意味はない」てゆうんも、ごもっとも。けど、それさえも裏があるように感じるのは、僕だけやろか…?

 自分としては、心ある若い人には観て欲しい作品。今度はそおゆう人物と一緒に観て、ぜひとも感想を聞きたい心境ですねん。

<第六夜>君の助けになる

 「イチロー」と「コーイチロー」…ちょっと似てるやろ?

  

 ま、この人の凄いとこは、どこまでも「自分の野球」を追求したことやな。球界のためでもファンのためでも子供らのためでもなく、あくまで「自分の野球」を実現するために理想を追い続け、ほんで実現したんや。正直、それが自分本位に見えて、マリナーズにおった頃は『あいつはヒット 大好きで、自分のことしか考えていない』『ぶん殴ってやりたい』という声すら上がってたそうやで。

 https://ent.smt.docomo.ne.jp/article/670715

 いっぽうで、この頃はスポーツ選手に限らず「みんなに夢を与えたい」とか「勇気を届けたい」とか、ほんまおこがましいわな。市井のご連中も、二言目には「感動した!!」で、あきれるほど感情の沸点が低いわな。

 

 思うにイチローは、そおゆう世俗からは一段も二段も離れた高見で、プレーしてたんちゃうやろか? 称賛も罵倒も、さして意味なくさして関係なく、後にも先にも、自分しかおらへん孤独の一本道…。それがゴードンの「あなたは、自分自身に、仕事に、プロセスに、そして何よりも、あなたが持つ『文化』に忠実でした」とゆう一文に現れてると思う。

 

 そもそも「誰々のために…」なんてゆう生き方自体が、ナンセンスやと思わん? 家族のためとか会社のためとか地域のためとか虐げられてる人のためとか、ほんまうんざり…。周囲への影響や効果は自分の言動から派生するあくまで副次的な産物やのに、最初からそれが目標の人生やなんて、なんや嘘っぽない?

 

 要は自分の道をひたむきに歩んで行くことが、結果的に周囲に光明を与えるん ちゃうかしらん? 太陽は地球を照らすために輝いてるんやのおて、太陽が輝いているから地球が照らされてるんや。

 

 ディー・ゴードンゆう選手は、イチローと自分の関係性において、それが本能的に解かってたんやと思う。せやから、自分を照らしてくれてたイチローがおらんようになって、堪え切れへん感謝と淋しさが、心の底からあふれ出てるんちゃう? それは恐らく、野球選手としてだけやなく、ひとりの人間としての感情やと思う。それが新聞への全面広告とゆうオープンレターになったんや。最後に「Devaris」ゆう本名が記されてるんが、それを表してると思わん?

  

 メッセージの日本語訳でびつくりしたんは、イチローがゴードンに「可能な限り君の助けになるよ」て、ゆうてること(You told me you would help me in any way possible. )。「俺についてこい」でも「一緒に頑張ろう」でも「君を尊敬しているでも」なく、「君の助けになる」やで。あくまでも主体は相手で、それをイチロー自身が助けるんや。輝かしいキャリアを称賛される選手とは思われへんほど、謙虚な言葉や。

 

 これって、舞台や映画やでゆうたら「助演」ちゃう? 相手との関係において、主体は自分やなく、あくまで相手なんや。それも、数々の栄光に輝いた超一流選手が、そおゆう態度やねん。ゴードンにとってそれは、文字通りものすごい衝撃(I swear, it hit me hard.)やったんや。チームメイトへのこうゆう接し方も、ゴードンのゆうイチローの「文化」なんやろな。

 

 野球選手を離れたイチローは、はたしてこれからどんな「文化」を築いていくんやろ…?
 

grapee.jp

<第五夜>パクリか否か?!

 ちょっと調べてみたら、映画の根幹にかかわるアイデアの出所は、2011年にSPACEゆう劇団が上演した『GHOST IN THE BOX』とゆう舞台やねんて。『GHOST IN THE BOX』を観た人が、何も知らんと『カメラを止めるな!』を観て、「設定すごく似てる!」て書いてはるから確かやろ。
https://note.mu/micanaitoh/n/nbcad085920af


 けどな、『GHOST IN THE BOX』を観た人は少ないねんけど、みんなええ評価してはるねん。たった9人のレビューやけど、これは大したもん。もともと舞台として秀作やったんや。
https://stage.corich.jp/stage/28989/done

 

  その後、PEACEゆう劇団は解散したものの、一時は関係者の間で『GHOST IN THE BOX』映画化の話があったそう。けどそれも頓挫してもて、最終的には上田慎一郎とゆう監督が『カメラを止めるな!』として映画を制作しはってんて。

 それがあんた、最初は映画のクレジットには、PEACEの劇団名も『GHOST IN THE BOX』の作品名もなかったんて。ほんで、『GHOST IN THE BOX』の演出した和田亮一とゆう人が、監督とプロデューサーに掛け合うて、配給拡大に際して【原案:劇団PEACE「GHOST IN THE BOX!」(作:荒木駿 演出:和田亮一)】と入れてもらえることになったとゆうこと。

 せやけど、当の和田亮一氏はあくまで「原作」と入れて欲しかったんやな…。

https://note.mu/rookey/n/ne25a640b8cc7

 

 どやろなぁ~。『カメラを止めるな!』しか観てへんからエラそうなことはゆわれへんけど、根本的なアイデアは『GHOST IN THE BOX』が間違いなく起源なものの、作品としてやっぱり別モンちゃう? せやから「原案」で妥当やと思う。
 実際『カメラを止めるな!』が『GHOST IN THE BOX』に、着想を得てるんは確かで、監督自身もそれは認めてる。『GHOST IN THE BOX』がなかったら『カメラを止めるな!』は生まれてへんやろ。少なくとも、オリジナルストーリーではない。
 けど『カメラを止めるな!』はあくまでゾンビ物やし、『GHOST IN THE BOX』はホラーやけどゾンビは出てけえへんし、やっぱり「原作」とはゆわれへんのちゃう?

 むしろそれゆえ『GHOST IN THE BOX』も、ぜひこの目で観て確かめたい!! 一時はDVD発売も予定されてたそうやから、諸問題が解決して『GHOST IN THE BOX』の関係者にも、それなりの利益が行き渡ったらええのにな。

http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1811/02/news084.html

 かくゆう僕も、EXILEの作詞オーディションに応募したら、しばらく経っておんなじタイトルの曲が出てて、びつくりしたことがあるけど…。タイトルに著作権はないし、歌詞も全然ちゃうから法的には問題ないんやろけど、びつくりしたんは確か。
https://www.youtube.com/watch?v=cJIwyl1y390
  

 おんなじようなことが遥か昔の宣伝会議賞でもあって、僕の応募した「プハーッ!!」ってゆうキャッチコピーが、これもしばらくしたらサンプラザ中野サントリーモルツの宣伝にまんま使われてて、あれを京阪京橋駅で目にした時は、ほんまびつくりしたなぁ~。
 

 どっちもきっと偶然の一致で、「審査の過程で応募作を目にした関係者が、こっそりパクリよった!!」なんてことは、絶対ないやろけど…。

 

 ま、ギョーカイなんて、所詮その程度のもん?

 

<第四夜> 天心は「くまのプーさん」か?

 茶番ゆわれたら、茶番かもな。
 
 どうも海外のメディアは、天心を知らんかったせいもあって、ごっつ批判的やけど、こっちとしては真逆で、メイウェザーのことは全然知らんかってん。
 
 ま、お互い無知やったとゆうたらそれまでやけど、考えてもみいな、おんなじ格闘技界とはいえ、「ボクシング」と「キックボクシング」は、そんだけ「異世界」やったんや。
 
 それで思い出したんが、昔ケータイのカタログの校正してた時、「ミッキーマウスくまのプーさんは、横並びにレイアウトしないで!!」て、ディズニーにゆわれたこと…。
 
 なんでも、ミッキーとプーさんは、おんなじディズニーのキャラクターでも住む世界がちゃうから、隣同士に並べたらアカンねんて。それが、それぞれのイメージを大事にしたいとゆう、ディズニーさんのこだわりやってん。
 
 ぶっちゃけ、それ聞いた時は大概やなと思たけど、考えてみたら今回の一戦は、まさにその掟を破ってもたんとちゃう? どっちがミッキーでどっちがプーさんかは、ここでは触れんとくけど…。
 
 ま、ディズニーの場合はお互いの存在が侵されることはなかったけど、メイウェザーと天心に関しては、どっちもその値打ちを下げてもたわな…。
 
 おまけに、今回の一戦はエキシビションやから、互いの戦績にはカウントされへんとはびつくり!! そんな試合で、900万ドルも貰えるんや!! 
 
 たとえばアマチュアの試合なんか、参加費払ろて出場するねんで。それでも勝敗はきっちり戦績として残る。たとえプロになったとしても、大多数の選手が大卒の初任給にも満たへんファイトマネーで試合してるねんで。もちろん、戦績にカウントされるんはゆうまでもない。
 
 なんか、おかしない? 
 
 確かにプロとしてデビューするからには、メジャーになってビッグマネーを手にすることが目的でもかまへんと思う。メイウェザーみたいなんがひとつの頂点で、多くの格闘家の目標であってもかまへんと思う。
 
 けどな、今回みたいな試合に憧れてたら、それはちゃうで。言葉でなんて表現したらええんか判らんけど、なんかこう、本質的なもんを見失ってるような気がする…。
 
 しかも、メイウェザーは「テンシンはまだ負けていない。彼はまだ本物のチャンピオンだ」てゆうてるらしいけど、それも詭弁!!
 
 なんぼエキシビションでも、負けは負け。 引退してるから「記録」に残らへんゆうても「記憶」には残る。人々の脳裏に焼きついたあの強烈なダウンは、これからも「記憶」として残り続けるねん。
 
 そもそも、そんな安っぽい言い訳で片付けられる試合やったんか? バカにするんも大概にしいや。
 
 あと、これは全てのチャンピオンに当てはまることやけど、チャンプが負けるとゆうことは、そのチャンプがそれまで倒してきた相手も負けるとゆうこと。せやから、メジャータイトルになればなるほど、重責なんや。そもそもそれが、ベルトの重みとゆうもんやろ? 
 
 自分一人が、負けて終わりとちゃうねん。あんたが倒してきた選手全員が、もいっぺん負けたことになるねんで。
 
 とゆうことは、九島 亮もメイウェザーに負けたことになるん?
 
 ああ、頂点とは因果なもんやな…。どっちにしても、一番狡猾で一番美味しい思いしたんがメイウェザーで、期待して応援して熱狂してた我々が、一番アホでええカモやったん?
 
 ええわ、カモで。
 

<参考リンク>
天心は「まだ負けていない」 圧勝メイウェザーは強調も… 米メディア「茶番劇」

 

<第三夜> おかんと観たRIZIN.14

 あけましておめでとうございます。
 
 それはそうと大晦日RIZIN。実は、おかんと一緒にテレビで観てましてん。
 
 それがあんた「足が動いてへん」「パンチが入った」とか、ぼそぼそ言いよるねん。おかしいな思て「おかーちゃん、ボクシング知ってんの?」て訊いたら「子供の時に、おじいちゃんとテレビで観てた」ゆいますねん。 

 当時、テレビゆうても家にはないし、なんや思たら喫茶店に置いてあるテレビ。要はボクシングでも相撲で野球でも、その時間になったら喫茶店にお客が集まって、そこに置いてあるテレビで観戦しててんて。ほんで、まだ子供やったおかんの傍で、おじいちゃんがなんやかや蘊蓄垂れるから、いつの間にかボクシングの見方を覚えたらしい。
 
 けどな、それもせいぜい娘時代までのことで、それからは別に取り立てて見もせえへん。たまにニュースで知る程度で、実戦なんか全然。おまけに息子と一緒に観るんは、たとえテレビにせよ初めてやってん。
 
 とゆうわけで、おかんが多少なりともボクシングの知識があるとは、こないだの大晦日まで知らへんだ「不肖の倅」やってん!!
 
 ほんで、いよいよ天心の試合…。もちろん、おかんは天心のことは知らんし、見るんも初めて。
 
「なんでこんな体格差あんの?」
「そおゆう設定の試合やねん」
「設定もなんも、こんなんあかんで」
「ちゃうねん、天心は強いねん。RISEでもRIZINでも、ずーっと勝ってるねん」
「勝ってても、こんな体格差あったらあかん…」
「せやから、そおゆう条件で受けた試合やねん!! 天心は格闘技界の神童やねん!!」
「神童かなんか知らんけど、顔ひきつってるやん」
「緊張してるだけや」
「こっちの黒い人は笑ろてるで」
「いっつもそやねん!!」
 
 と、説明してるうちにゴングが鳴り、結果はみなさんご存知の通り…。
 
「ほれ見てみい、おかあさんのゆうたとおりや」
 
 ボクシングはちょっと知ってるけど、天心のことはなんも知らん78歳の老母…そんな素人でも判った結果。
 
 逆に、何べんも天心の試合観て、それなりに知ってるがこそ、この一戦に期待してた息子…。
 
「今までいっぺんも負けたことない子が、こんな負け方して、精神的に立ち直られへんで」
 
 ま、それはないと思うけど、本人はもちろん周囲もファンも、それぞれがそれなりにショックやったんは確かや。
 
 年寄のゆうことは、聞くもんやな。
  
※おかんのゆう「おじいちゃん」は、自分の父親のこと。「おかあさん」は、自分のこと。

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RIZINウェブサイトより



 

<第二夜> ふたつの魂 -大坂なおみとサーシャ・バイン-

 BS1で全米優勝!大坂なおみスペシャル「頂点への軌跡ドキュメント&緊急開店!語り亭」という番組をやっていた。前半のドキュメントは大坂のテニスそのものにフォーカスした内容で比較的良かったが、後半の「語り亭」とやらは、緊急らしく綿密な準備もい思慮もなく、民放のバラエティのような構成だったので、途中で見るのを止めた。

 さて、番組によると今回の大坂の快進撃の陰には、コーチの存在があったらしい。気になったので、いろいろ調べてまとめてみた。
 
<サーシャ・バイン>

 33歳のセルビア系ドイツ人。1990年代はジュニアのプレイヤーとして活躍していたものの、父親を事故で亡くし、テニスへのモチベーションを失う。その後はアメリカに移住、プロとしても何度か試合をこなすものの、大きな活躍はできず、シングルスの最高ランキングは1149位で終わる。

 その後、指導者の道を歩むことを決意。23歳まではドイツでコーチをしていたが、2007年にセリーナ・ウィリアムズのチームにスカウトされ、ヒッティングパートナー(正式なコーチとは別の非公式なコーチ)となる。 

 ※女子のプロテニス選手は高いレベルで技術やパワーを鍛えるため、練習では女子を相手にはせず、世界ランクが比較的低い男性の元選手(=ヒッティングパートナー)と行う。

◆ヒッティングパートナーとしての経歴

 2007年から元世界ランキング1位のセリーナ・ウィリアムズを8年
 2015年からビクトリア・アザレンカを2年
 2017年から全豪オープン女王のキャロライン・ウォズニアッキを1年


 いっぽう、大坂は2016年まで父親と二人でツアーを転戦。日本テニス協会はじめ周囲が「強くなるには指導体制の充実が必要」と働きかけ、著名な外国人コーチの招請に乗り出す。そして2017年12月、サーシャ・バイン就任の声がかかり、大坂も子供の頃から憧れていたセリーナの下で、ヒッティングパートナーを8年も務めたバジン氏に、好印象を持ったのだろう。
 
 ただ、ヒッティングパートナーは、コーチのように選手にアドバイスすることはない。あくまで練習相手(パートナー)に過ぎず、選手にとって必要不可欠な存在でもない。いっぽう、大坂も決して裕福な育ちではなく、テニスの英才教育を受けたわけでもない。フロリダで通っていたクラブのコーチは、無償奉仕だったという。また近年は、パワーやスピードはあるものの、プレイとしては粗削りで伸び悩んでいた。

 このように、恵まれた環境で順調にキャリアを積んできたとは言えないが、救い難いどん底だったわけでもない二人…。いわば、それぞれの次元で別々に存在していたふたつの迷える魂が、めぐりめぐって出会ったことで、大坂は選手として大躍進、バインはコーチとして大出世し、より上の次元へと共にのし上がった。このあたりに、運命的なものを感じはしないだろうか…。

 また、コーチとしてのバインには、現役時代に好成績を残せなかった経験が、むしろ指導者として有利に働いているのかもしれない。選手としては花開かなかったからこそ、今できる指導法があるのではないか。

 一例をあげると、バインコーチはネガティブに陥りがちな大坂に対して、まずは弱音を吐き出させ、それからポジティブな言葉を掛けてアドバイスするそう。これはいきなり叱咤激励するより、確かに効果的だと思える。単にメンタル面を支えるだけでなく、心情に寄り添う才能が備わっているようだ。

 今回の勝利は、「目には見えない信頼」が「目に見える結果」を生み出した好例に思える。今後も大坂のさらなる躍進を期待し見守るうえで、二人の関係性が重要な要素であり続けるのは間違いないだろう。
 

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BNPパリバ・オープン」での大坂(右)とバイン
(Photo by Jeff Gross/Getty Images)

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<第一夜> エスプリの真骨頂、エルメスという「生き方」。

 エルメス国立新美術館と共催した展覧会『彼女と。』。7月11日から30日まで3週間のみの会期で、しかも予約制という非常にレアな催しだった。 

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メインのポスター

 Webサイトによると「エルメスが提案する現代的女性像の考察をテーマとし、シネマ(映画)的設定の観客参加型の展覧会」という内容。実際には、美術館の展示室内に設置された映画の撮影現場をめぐりながら、エルメスを体感するという企画展なのだ。 

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ピンクの色調でコーディネートされたロビー

    展示は7つのセットと5つのバックステージからなる。ストーリーとしては、一人の「作家」が「彼女」の存在を追いかけ、「観客」はエキストラとして「作家」とともに会場内をめぐるという内容。セットでは「彼女」をよく知る3人の人物との出会いと「彼女」にまつわる映像、バックステージでは「彼女」が愛用しているエルメスのオブジェを介して、思い思いにその人物像を探っていく趣向だ。

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ブックレットとIDタグ

 所要時間は約45分。実際には1人の「作家」と30名ほどの「観客」が一団となり、案内役のスタッフの先導で会場内を観覧する。「作家」はアクターとして、「観客」はエキストラとして、ともにあらかじめネット予約した参加者だが、1集団につき作家は1人しか枠がないので、体験できる人数は圧倒的に少ない。 

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STAGE①「友人との出会い」の撮影風景。青いスカーフの女性が作家役の参加者

 7つのセットのうち3つでは、「作家」がアクターとしてちょっとした演技を伴う撮影やリハーサルに臨み、それを50人の「観客」がエキストラとして見守る。他の4つのセットでは、撮影が終わったばかりの映像がモニターに流れていたり、撮影に参加した俳優たちが余韻に浸っていたりする。さらに各バックステージにはエルメスの製品が衣装や小道具として置かれ、最後には「彼女」の女優としての控室やプロデューサーの小部屋まである。  

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舞台裏では衣装や小物をストック

 つまりは、会場全体が映画の撮影現場を模したエルメスの「ショールーム」という印象。しかし撮影現場ゆえ、間違っても値札は付いていない。あくまでも「衣装」であり「小道具」なのだ。つまりは、店舗とは異なる、商業ベースを離れた時空間でこそ、エルメスの「エスプリ」が際立つということか…。そこには、単なるラグジュアリーブランドの域を超え、価値観やセンス、そして精神面をも含めた、ライフスタイル全般を貫くエルメスという「生き方」が感じられた。 

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STAGE②「恋人との出会い」の撮影風景。右端の作家役とSkypeでのやり取りという設定

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メイク&ヘアブース

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鏡の前には小物類

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積み重ねられた衣装ケース

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衣装ケースに置かれたスカーフ

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ケースの中のバングル

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トルソーと小物類

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STAGE④「友人による回想シーン」のセット

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④のストックブース

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STAGE⑤「恋人による回想シーン」。アルファのスパイダーか? 撮影済みの映像が左のモニターに流れている

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⑤のストックブース。中央のバーキンは40? メンスでもイケる?

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思わず吸い寄せられるストックブース

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ケリーのカラバリがっ!!

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ボ、ボリードのスペシャル版?

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ここにもケリーが…

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スカーフの置き方がエレガント

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木製トレイに注目!

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細部まで芸が細かい

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買えそうなのは、どれ?

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あくまでも小道具というディスプレイ

 それにしても、これだけの手間暇とお金をかけ、趣向を凝らした展覧会が、たった3週間の会期とは実にもったいない。せめて3ヶ月ぐらい、開催してもいいのではないか? 常設のパビリオンとしても十分成り立つクオリティで、しかも入場無料とは大した太っ腹。経営的にも成功しているメゾンだからこそ、できる荒技か。
  
 その割に、「わたくしはバーキンを複数所有しております」とかいう風体の観客は、見当たらなかった。現実には、それらの顧客がエルメスを支えているにも関わらずだ。

 ただ、自分の前に夫妻で並んでいた穏やかな物腰のご婦人は、つま先にピアノの鍵盤が描かれた白いエナメルのパンプスを履いていた。

 そういう人が、ぴったり似合う展覧会だったのである。

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ロビーにだけあった別バージョンのポスター

 <参考リンク>
エンドロールのフォトムービー